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A Challenge To Natural Smile

〜 全ては患者様の本当の笑顔の為に〜



この大きなテーマの基に私は Kinoshita Dental Office を設立しました。

「歯医者で笑顔になるなんて。。。」

おそらくそう思われる方もたくさんおられると思います。
そう簡単に達成できる目標ではないと思います。


ですがいつの日にか、Kinoshita Dental Office に来られる患者様、スタッフ、業者の方、そして私自身がいつも心から笑えるような、そんな歯科医院を作っていきたいと本当に願っています。


海の家



元々歯医者嫌いだった私が、歯科医師になろうと心に決めたのは中学三年の時でした。

歯科医院と言えば、嫌な匂いがして、キーンという嫌ながして、痛いこともされる。
みんなマスクをして無表情に対応される。
しかも予約をしていっても待たされるし、やっと始まったと思ってもすぐに終わってしまって、ちゃんと治療してもらえたのか不安になる。

そんな嫌なイメージばかりの歯科医院ですが、歯が痛くなったら行くしかしょうがない。
私自身は運良く歯は丈夫で、それほど歯医者にお世話になることも少なかったのですが、母親と祖母がとても歯が悪く、頻繁に歯科医院に通っており、いつも愚痴をこぼしていました。
その毎日聞く愚痴の中で、いつも引っかかっていることがありました。


「また、同じところがとれた」

「歯医者に行く度に悪くなっていくような気がする」

待たされるとか、痛いとか、それは仕方がないと言えば仕方がないのかもしれませんが、そもそも悪いところを治しにいくのが医療機関のはずなのに、

なぜ歯医者は行く度に悪くなっていると感じるのか。

それがどうも不思議に思い、子供心ながらに納得がいかず、歯医者に対する嫌悪感は更に増していきました。


そんな中で、私が尊敬する祖父がある歯医者の治療をきっかけに体調を崩し、そのまま入院し、寝たきりになってしまいました。

当時祖父は、70歳を超えていましたが、元々かなりの剣道家で、この歳でも非常に元気で、地元の子供達に剣道教室を開いて指導をしていたり、自転車で遠く まで出向いては、油絵を描くという趣味もあり、人望も厚く、とても怖い厳格な祖父でしたが、子供心ながらに憧れ、尊敬もしていました。

そんな祖父が、70年間ずっと元気だった祖父が、一つの歯医者の治療をきっかけに、人生の階段を転げ落ちるように老いていってしまいました。

歯科医師となった今考えると、そんなことがあるのかとよく原因は推測できませんが、運が悪かったのか、他の病気とたまたま重なったのか、結果としてそうなってしまったのです。


セラミックの被せもの


もともと歯医者に対して抱いていた嫌悪感と、こうして起こってしまった一つの事件をきっかけに、

「自分が良い歯医者になれないのか」

そう思うようになり始めました。
そこからはただひたすらに高校時代は勉強しました。


人生とは不思議な物で、何かを強く願う時、それに必要な重要な人物に出会えるのです。

一人目は高校三年生に出会った塾の先生でした。
彼はアルバイトで塾講師をしていたのですが、大阪大学歯学部を首席で入学し首席で卒業するといういわゆる天才だったのですが、当時まだ学生ながらにして、

「いつの日にか俺が日本の歯科医師界を変えてやる」

と志し高く一生懸命生きている熱い人でした。

彼から日本の歯科医師の現状や、歯科医師という仕事の素晴らしさ、男として歯科医師として大きな器になる為にはこんな大学生活を送らなければいけない。
そんなことをいつも勉強の合間に教わっていました。
彼への憧れと尊敬の念の力も借りて、無事大学にも合格し、歯学部の学生としての生活が始まりました。


六年間の学生生活の中でも様々な大切な出会いがたくさんありました。
いつも人生の大切な時間に大切な人と出会い、その人への強い「憧れ」が自分を前進させる原動力になっていました。

実の兄のように慕い、人生で何かにぶつかったらいつも相談する先輩、その先輩から紹介され、後の自分の歯科医師としての師匠となった先輩。
多くの素敵な出会いがありました。
特に私の大学生活のあり方を決定した、その師匠の言葉があります。


華



「歯医者に来る人は老若男女、年齢も仕事も価値観も全て違う人ばかり。
そんな全て違う人ばかりを相手にしていると、何が正しいのか判断できないことはたくさんある。
例えば、長距離トラックの運ちゃんが歯が痛くて急患で来たとする。
教科書的に言えば十分残せる歯。
でも、その運ちゃんは次の日から長距離の運転 もあるし、家族のため仕事も休めない。
だから手っ取り早く抜いて欲しいと訴えたとする。
そこで歯科医師としての判断はどうすればいいのか?
教科書通り歯を 抜かずに治療するのも正解だと思うし、その運ちゃんの生活のことを考えて抜いてあげるのも正解だと思う。
どちらが正しいかなんて分からないけれど、どちらも正解だと思う。
だからこそ、その難しい判断を下せるようになる為に、学生時代にありとあらゆるアルバイトをして様々な職業を経験したり、色んな国に海外 旅行に行って色んな人種、宗教、価値観をみて、人間としての器を大きくしていかなければいけない。」


そんな話を大学一年生の時にしてもらいました。
そこからの大学生活は、サッカー部で部活に精を出しつつ、ありとあらゆる職業のアルバイトを片っ端から体験し、それで貯めたお金で毎年夏にはバックパッカーで海外旅行をし、世界を広く見るように努力しました。

紆余曲折色々ありましたが、いい大学生活を送らさせて頂いたと思います。

そして晴れて歯科医師となり、ここからが自分の本来歩くべき道のスタートとなりました。



林直樹氏
歯科治療は芸術であると教えてくれた世界トップクラスの技工士 
林 直樹 氏  www.ultimate-dl.com



「いい歯医者になりたい」


そこから始まった歯科医師へのチャレンジ。
まずは何が何でもいい治療を出来なければ話にならないと思い、全国各地の有名な歯科医院を就職活動して回り、自分が思う理想の歯科治療をしている医院を探して回りました。
そして、理想と現実のギャップの激しさに落胆し、諦めかけていた最中、先輩の紹介である歯科医院に巡り会えました。

そこは神戸でもトップクラスの大型歯科医院で、最先端の診療機器を揃え、今まで専門書でしか見たことのないような最新の治療方法をごく当たり前のようにこなし、歯科医師、衛生士、技工士、歯科助手、受付、それぞれのプロフェッショナルがチームアプローチで日々最善を尽くしているすごい医院でした。


ジルコニアクラウン


もちろんここでの院長との出会いも人生の重要な出会いとなりました。

そしてまた、人生のいたずらか、学生時代のあり方を決定した尊敬するあの先輩にその医院で再会したのです。
すぐに就職を希望し、歯科医師としての人生が始まりました。

そこからの五年間は恵まれた環境の中で全力で勉強しました。

先端医療を実践している医院だけに、求められるレベルは果てしなく高く、責任も重く、毎週末大阪や東京に勉強会に走り回りました。

どれだけの時間とお金を投資したか分かりません。

かなりの給料を頂いていましたが、学生時代より貧乏生活をするくらい講習会代にお金を惜しみませんでした。

いい治療をすることこそがいい歯科医師の証し。

そう信じて突っ走りました。どんな難しいケースでも治せるようになってやる。が、その傲慢さに大きな落とし穴が待っていました。



木原先生
歯科治療の全てを教わった日本有数のトップデンティストSJCDの木原先生



勉強すればする程に、見えない世界が見え過ぎてしまうようになったのです。
つまり、歯科医療の限界です。

どんなに最先端の治療技術と治療機器を使っても、絶対に治せない人もいるのです。歯科医療も所詮は人の手作業によるもの。

神の領域
は超えられないのです。

手を出すことすら出来ないケースもありますし、どこかで妥協点を見つけ、なんとかその病気とうまくつきあっていかなければいけないというケースもあるのです。

そこに逃げ場のない憤りを感じ、それをぬぐい去るように更に講習会に明け暮れました。
でも答えなんて見つかるわけもなく、悶々とした日々を過ごしていました。


ヒマワリの花


そんな中一つのを見つけました。

それが、ホスピタリティーの世界であり、コミュニケーションの世界でした。

歯科医院も一つのサービス業ととらえ、嫌なイメージの強い歯科医院を如何に居心地のいい空間にする為にはどうしたらいいのか?

淡々と治療の説明をするのではなく、その人が本当に望んでいることに耳を傾け、これがいい治療なんですと押しつけの治療をするのではなく、
「共に考えていく治療」へと治療スタイルがシフトしていきました。

アマンの海


そこからまた第二の歯科医師人生が始まりました。

読む本も歯科の専門書ばかりでしたが、それに加えてホテルやレストランのホスピタリティーサービス、様々なコミュニケーションに関する本、人間学に関する本を読みあさるようになりました。
毎週参加していた講習会も然りです。

始めは慣れないことでうまくいきませんでしたが、ホスピタリティーやコミュニケーションの根本にある精神は、

「その人の幸せを心から願うこと」

「いつもおもてなしの心で接すること」


その精神を胸に抱き、患者様に対する接し方がどんどん変わっていきました。
その頃から、自分がより自分らしく仕事できるようになり、以前よりも更に仕事が楽しくなりました。
もちろん、一人一人の患者様と真剣にぶつかればぶつかる程に、仕事の範囲も拡大し、辛い思いもたくさんしました。


高橋 滋 氏
東京青山にあるリゾートレストランCasitaオーナー 高橋滋氏
http://www.casita.jp/
彼からホスピタリティーの全てを教えて頂きました。
共に世界のアマンリゾートを旅させて頂く中で、彼の生き方、仕事人生に対する熱い情熱を学びました。
http://www.amanresorts.com/


ですが、不思議と充実感は以前にも増して大きなものとなっていきました。それに伴って、患者様も私に対する接し方が変わっていったように思います。

診療室で笑ってくださったり、本気で怒って下さったり、時には涙も流して下さったり。

ここで自分の「歯科医師としての生き方」が定まったように思いました。


歯科医師として、人間として目の前の患者様に全力を尽くすこと。



という物の本当の意味もこの時やっと分かったように思います。

誰かの幸せの為に全力を尽くす中で、様々な壁にぶつかって成長し、自分らしさを見つけ、気がつけば自分も幸せになっている。


アマンの夕日


自分というものが見えなくなっている時期もありましたが、それは自分のことばかり考えていたから見えなくなっていたように思います。

自分のことばかり考えるのを止め、なりふりかまわず目の前の患者様の為に全力を尽くしていたら、その時の自分こそが、自分らしい自分の姿なのだと気付きました。


そして、新たな気持ちが湧いてきました。

この歯科医師としての自分の生き方を自分の形で表現してみたいと。

それが、Kinoshita Dental Office の設立を心に決めた日でした。


院長 木下貴雄 
                     photograph: Takumi Ota

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